物事を決める方法として、「多数決」は悪くない選択肢だ。
ただし、少数意見が排除されないプロセスを経ているときは。
10人で多数決をしたとする。
5対5であれば、もう一度話し合う余地があるし、改めて決をとることもできる。
コミュニティを分けることだってすんなりできるのが5対5。
6対4。
賛成者が6人に対して反対者が4人。
微妙に決めきれないから「もう少し話し合ってみようか」とお互い言い出しやすい。
7対3。
そろそろ微妙になってくる。「3人しか反対していないし」「7人も賛成してるんだから」という空気感。
反対派も少しずつ声を上げにくくなる。
8対2。
このあたりから少数意見が排除され始める。
「みんな賛成しているんだから」という論理で決議事項が実行される。少数派は黙るしかない。
9対1。
多数派は何も疑わず決議案に従う。
たったひとりの少数派は黙ってコミュニティを去る。
9人は、1人が去ったことについて触れることもない。
こういうことって、結構ある。
結構あるのに、少数者は少数であるということが理由で多数者から配慮されることがない。
繰り返すけど、多数決は悪くない選択肢だ。
自分が多数派に立ったとき、少数意見をどれだけ尊重できるか。
なぜ少数派がその意見を発したか、背景や文脈を汲み取ろうとしたか。
少数派の意見が多数派の意見に与える影響を想像したことがあるか。
少数者に配慮できるコミュニティは、優しい。
「社会的に包摂できる」というのは、コミュニティを維持するために欠かせない「機能」だ。
長尾彰